私が昔に書いた記事のスクラップです。後ほどまとめる予定。
お釣りが多かったら返さないと
詐欺罪と言えば・・・買い物をして、つり銭が多かった場合で、そのまま持ち帰ったら詐欺罪です。
「”その場で教えることは簡単なことなのに”、わざと何もしないで騙した。」と言うことです。
家に帰ってから気付いた場合は詐欺罪にはなりませんが、占有離脱物横領罪(刑法第254条)になります。結局、自分のお金ではありませんから返さないと。
以下、独り言。
詐欺罪の場合の不真性不作為犯の作為義務は、契約の信義則たる付随義務なのかな・・・。契約の本旨と言うには違和感があるし・・・、かと言って単なる信義則だけで攻めるなら漠然すぎるし周囲で見ている者にまで作為義務を作出して片面的共犯すら構成しうる・・・。業務の上では不要な話ですが混乱中です。
「お金を返してくれない!支払ってくれない!詐欺だ!」
「お金を返してくれない!支払ってくれない!詐欺だ!」
なんて良く聞きます。
確かに”道徳上の罪”ですが、その多くは法律上の罪にはなりません。
詐欺罪(刑法第246条)は、「人を欺いて財物を交付させたこと」としています。
「騙す意思を持って、”その上で”、お金や物などを受け取る」ことと言う事です。
例えば、「お金を友人に貸した。でも適当な嘘の言い訳をして返してくれない」。これは、怠けているだけで法律上の罪にはならないのです。
「怠けているなんてふざけるな!」私もそう思います。でも、法律上の罪にならないのです。
仮に、騙す意思が最初からあったとしても、「意思」は見えないものです。立証が非常に難しくて、警察や検察も捜査に苦戦をします。もっとも、私が告訴状を作成したとき、実刑で6年と言う判決の事件がありましたが。
罪に問えないとしたらどうするのかと言えば、支払いを求めるしかありません。内容証明で催促したり、裁判所を通じて支払い督促や訴訟の手続きを取って最終的に強制執行で支払いを強制させます。しかしこの場合も、労働を強制することは出来ないので相手に財産が無いと取れないのですが・・・。
不利益変更禁止の原則。
これは手続法(民事訴訟法、刑事訴訟法、行政不服審査法など)と、労働基準法(労働契約法)などに規定があります。
1,手続法
例えば刑訴法で、被告人が「一審判決の無期懲役は長すぎる。もっと刑を軽くしてくれ。」と控訴し、検察としては無期懲役が妥当だと考えていたとします。
その控訴審の判決で、「この証拠によれば許せない悪党に見える。だから死刑。」なんて言われて重くなったらガッカリですよね。確かに裁判所は、特に刑事事件では真実を追究する義務(職権探知主義)がありますが、それでも被告人が求めんとする量刑を不利益に変更することは出来ません(刑訴法第402条)。(ちなみに検察が「求刑は○年を望みます」と言うのは、単なる意見ですから、裁判所はなんら拘束されません。)
2,労働基準法
現在は労働契約法と言う別の法律が出来て、そこに不利益変更の禁止が明文化されています(すこし前までは、判例として確立されていました)。
これは、「いままでの労働条件を労働者に不利益に変更してはならない。」と言うものです(第9条)。
賃金カットは代表的な例です。
しかしこれにはいくつか例外があって、例えば会社の業績が悪化している場合はそれが許されると言うことです(第10条)。
もし会社が潰れたら、そもそも給料を支払えなくなってしまいますから。
もちろん、労働基準法や最低賃金法が定める労働時間や賃金その他労働条件の最低ラインを下回ることは許されません。
「訴えてやる!」って、民事事件?刑事事件?
私、大学に入る前は民事事件と刑事事件の違いすら解っていませんでした。
民事事件とは、お金や財産などその他”一般市民間の法律関係”のことを言います。これには”一般市民”には会社も含まれます。例えば、財産関係でありがちなこととして「金を返せ!払え!物を返せ!」のようなことです。裁判での対象は”財産”です。結婚や親族関係は”身分”です。
刑事事件とは、国家が法的に悪質な者を罰して、その”人を更正”させると同時に社会へ知らせて、その人と国民全員の”犯罪を予防”させようとするものです。
裁判での対象は”その人の人格”です。
民事では訴えられた側を「被告」。刑事では訴えられた側を「被告人」と言います。
では、端的に「暴行をされた場合・詐欺をされた場合などはどうなるのか」と言えば、一般人である貴方が、一般人である相手に損害賠償の請求やお金の返還を請求する民事事件。それとは別に、国家が犯罪者に刑罰を与えるための刑事事件が同時に存在することになります。
民事事件は、貴方が何もしない場合には何も起こりません。しかし、刑事事件は、国家が勝手に事件にすることもあります。
ですから、「訴えてやる!」と言った場合には、民事事件では自分で裁判所に訴え出ることを言い、刑事事件では警察や検察に告訴状や告発状で知らせることを言います。
余談ですが、行政事件とは民事事件の延長にあって、民事では「一般人と一般人」でしたが、行政事件は「一般人と公共団体」または「公共団体と公共団体」の法律関係を言います。
※この記事は、ざっくり書きすぎています。パッと思い浮かぶキーワードでも「公権力の行使」「親告罪」「観念的」「訴訟物」などなどが抜けています。しかし、一般の方はこのような理解で良いのかな・・・。
比較的簡単に有罪に出来る日本の法システム
検察の証拠変造について、幹部まで逮捕されてしまいました。
証拠を変造されて、しかもそれが隠蔽までされる人的なシステムが暴かれる可能性も出てきました。
個人的にはこれが初めてだとは思えずとても恐ろしいことですが、今回はそれはさておき、法的システムについて。
法廷に出された証拠を全て採用することはもちろんありません。どの証拠を採用するのかと言うことも、また、その証拠をどのように評価するのかも、原則的に裁判官の自由なので(自由心象主義、刑訴法第318条)、検察に有利な証拠ばかりを採用し、有利に評価されたら終わりです。
頻繁に問題視される痴漢冤罪事件は、非常に極端なことを言えば、検察側証人(被害者)だけが採用されると言っても良いかもしれません。足利事件も当時はそうだったでしょう。高知白バイ衝突死事件も、多数の被告人側(弁護人側)の証人(目撃者)や実験結果があったにもかかわらずおよそ採用されませんでした。
もう一つ問題があります。それは、検察官の取調べでサインした調書も証拠となることです。
例えば、検察官に脅された、誘導された、ニュアンスが検察に有利に作成されたものにサインをしたとして、事実は違うと裁判で述べたとしても、その時の検察官面前調書を出されてしまうとその内容がそのまま採用されうるのです(刑訴法322条1項第二号)。 「プロの法律家である検事に嘘をつく筈が無い。」と言う根拠で制定されています。私は根拠が薄いと思いますが。
「お金を返せ!お金を支払え!」を例に見る行政書士の使い方
やはり「お金を返してくれない!支払ってくれない!」と言うのは一番多い事例だと思いますが、では実際にはどうやって取り戻すのか。
解決に至るまで安く、そして安心する為に、その取り戻し方法の概要から見る行政書士の使い方を簡単に。
順当に請求方法を考えれば、まずは自分の口で請求してみます。
次に、手紙を送るわけですが、それを内容証明郵便にすると受け取ることに慣れていない人には、威圧感があると思います。そこに、士業の職印(印鑑)があるとさらに効果がありますね。「もうプロに相談に行ったのか。観念しないとかな。」なんて感じです。しかも、そのプロが相当不勉強で無い限り、法律に違反しない内容・そして法律上の要件も解っているでしょうから安心です。強引に取り立てて、暴行罪・傷害罪・脅迫罪・恐喝罪などで逮捕されたら洒落になりません。
さて、内容証明郵便をも相手が無視したら、次は裁判所が関与する手続きになるのですが、支払督促や訴訟になると思います。そして判決を得たら財産や給料差し押さえ、強制執行となるわけです。
もちろん、これらの手続きは、解る人なら全て自分自身ですることも出来ます。
全てを弁護士に依頼することも出来ますが、費用も掛かりますしそもそも「依頼する士業の評判や口コミは・・・」なんて解らないので悩みどころであると思います。
そこで行政書士と言うのは便利です。まず、内容証明は弁護士さんに比べれば激安格安です。また、職務上請求と言う権限を持っていますので相手の住所を自分で調べるよりは手に入れやすいと思います。
相談料金は簡易な相談なら取らない人も結構多いですし、仮に裁判をするにしても知り合いの弁護士や司法書士を紹介したりしてくれます。
お客さんは、この行政書士が信頼が置けそうかどうかで判断すれぱ、比較的安く、そして裁判手続きになっても良い弁護士さんを紹介されやすいことになります。私も困っている人を見下す傲慢な弁護士とは仲良くしたくありません。
比較的まともな悪徳商法・悪徳業者(変な表現ですね)でしたら、クーリングオフや解約なら一発で解決できますし。
そうそう。最低限、依頼する前に「いくらかかるのか。後で何か請求されるのか」。そこは説明して理解させてくれる人を選んでください。”誠実さ・信頼”の最低限の線引きかと思います。
行政書士業務は、契約、夫婦・男女間トラブル、金銭トラブル・借金、損害賠償、未払い給料・賃金の請求、パワハラ・セクハラ、離婚、慰謝料、相続、遺言、クーリングオフ・解約、物の返還請求・引渡し請求、不当な要求に対する拒絶、ストーカー、告訴・告発・検察審査会申し立て、警察の苦情申出、交通違反の免停や免許取り消しの処分軽減などなど、身近で時事的な事も含めてパッと思い浮かぶだけでも書き切れません。
強制起訴って?(検察審査会について)
小沢一郎さんが強制起訴されるとのことですが、それについて少し。
検察審査会とは、一般市民の集まりです。選挙権を持つ人は勝手に選任されます。(裁判員制度と同じですね)
検察とは、容疑者を裁判に掛けるかどうか、つまり起訴を独占する権利を持っています。
しかし、被害者などが「検察がアイツを不起訴にしたのはおかしい!」と言った場合でも、いままで無視されていた面が大きかったのですが、これからは審査会の権限が強化されたので、一定の場合は、強制起訴にすることが出来ます。端的には、被害者などの救済の幅を広げる制度です。
被害者などの申立てに基づいて、審査会は「(1)まあ不起訴でも仕方ないよね(不起訴相当)」「(2)検察は捜査をやりきって無いよね(不起訴不当)」「(3)これは起訴しないとおかしいでしょう(起訴相当)」と言う三種類の判断をします。
(1)は諦めるしかありません。
(2)は検察に「捜査をもう一度やれ」と言えます。
(3)は検察に「捜査をやって起訴しろ」と言えます。
いままでは、(3)の判断が出てもまた検察が不起訴の判断をすればお手上げだったのですが、今は、(3)の判断が2回目出ると、「検察はもういい!検察官は抜きで勝手に起訴するから!」と言うことになります。裁判所が弁護士を指定して、検事は無視して勝手に被疑者を起訴します。
尚、この場合の指定弁護士は、検察事務官や警察官を指揮して捜査が出来る権限を与えられます。
しかし、この強制起訴の制度には問題があります。それは、強い感情的な起訴がなされる恐れがあることです。
事実、今回の小沢さんの起訴の理由は「有罪になる可能性が高くないからと言って起訴しないことは問題だ。国民の前で何があったか明らかにしてほしい。」とのことです。
もちろん、最終判断である判決は裁判所が行うから、有罪無罪の面での問題はありません。が、多くの国民は、「逮捕された者・被疑者・容疑者・被告人=”犯罪者”」と考えている人が多いことです。
被告人の名誉のために、判決が確定するまでは「推定無罪」であります。「あくまでも容疑が掛けられただけである」と言う認識を広げる必要があると思われます。
尖閣諸島の映像流出問題について
非常に話題になっているこの問題に触れずには居られません。
もし仮に、政府がこの流出させた人間の処罰を望んでいるとしたら、そこには強い違和感を覚えます。
そもそも政府は、中国人船長の釈放について、「大した衝突では無かった。わざとではなかった。」と言う認識ですから、流出させた情報はそれほど違法性が高いとは思えません。
「大した衝突では無い」と言うのは、政府が「沖縄地検が法と証拠に基づいて中国人船長を釈放したのだから問題ない」とのことからです。法は平等に適用されるものであり、証拠映像を見た上でもそれを訂正しなかった。
そうだとすれば、そもそもこの映像は大した価値が無いから流出させたとしても違法性は高くなく、流出させた者に守秘義務があったとしても抽象的な危険(誰も傷つかない形式的な違反)があるだけです。
守秘義務違反は悪いことです。しかし、日本国家や海上保安官の身体への危険を故意に行ったことが明らかである者を事実上無罪放免にしたことに対して、証拠価値の低い映像を流した者を処罰する理由を搾り出すのは難しいと思われます。
この映像の証拠価値が高いとした場合でも、”国民の知る権利”や公益通報者保護法などの”理念”を見ても明らかなように、国民はこの流出を賞賛する声が多いでしょう。
船長の釈放について、「今回だけは仕方なく、高度に政治的な判断で釈放しました。」と言えば、今回の対応よりは国民は多少納得しやすかったでしょう。
しかし、「民意」「情報公開」「透明化」などと政府が頻繁に言っておきながら、「政府は関与していない。沖縄地検の独自の判断だ」と言ってしまったことは国民の気持ちを踏みにじったのでは無いでしょうか。
海上保安官は懲戒・法的処罰されるか
尖閣諸島の映像流出について、海上保安庁の方が名乗り出てきました。
それについて法的に検討してみようと思います。
1,懲戒処分につき、公益通報者として保護されるか。
この保安官は、法律に違反したか否かは別として、少なくとも内部規律違反をしたので懲戒処分をされる可能性が濃厚です。
公益通報者保護法とは、公益通報や内部告発をした者を懲戒免職や不利益な扱いをしてはならないとする法律ですが、保安官は、同法により保護されないと考えます。
なぜなら、仮にこの映像流出に公益性があるとしても、そもそも政府が映像を出さなかったことを違法とする法律が無いと考えるからです。
したがって、海上保安官が、一般職公務員であるか否か、同法と公務員法の上位下位を論ずるまでも無く、懲戒処分されてしまうと考えます。
2,公務員機密漏洩罪として処罰されるか。
判例は、西山記者事件と言うもので、(1)誰も知らない情報で、(2)実質的に保護に値する機密であること、を処罰の要件としています。
(1)まず、誰も知らない(非公知)と言えるか。
難しい問題ですが、私は非公知では無いと考えます。
なぜなら、たとえ一部の映像とは言え、核となる部分は国会議員に公開され、国会議員がそのことについてマスコミを通して公開し、国民はその内容を把握していたからです。
(2)非公知だったとしても、保護に値する機密なのか。
これも国民の知る権利とのバランスで非常に難しい問題だと思いますが、私は、保護に値しない機密であると考えます。
なぜなら、政府が沖縄地検の判断(?)について、大した事件では無いとして釈放したことを了解したので、捜査資料価値(証拠価値)が低いことが一点。外交の内容そのものでも無いのが一点。単なる事実について、過去の例では、銃撃戦などの事実までも公開されていたのに、今回のみ非公開する理由は無いのが一点。なによりも国民が知りたがっていることが一点。これらの点から見るに、保護には値しないと考えます。
したがって、この海上保安官は処罰されないと考えます。
まだ今日現在では逮捕されていませんが、主権者たる国民が逮捕・起訴・有罪を許すのかと言う問題もあります。
「映像は元々国民が知るべきものだ。国民の倫理に反するなら甘んじて罰を受ける」
彼が言ったこの言葉は、「法」と言うものを、法律や規則(成文ルール)では無く、最終的な立法者である国民の倫理(心や道徳)に委ねたと考えます。
一部報道では、仙石官房長官は、中国からの「映像公開をするな」と言う要請で今回は映像公開をしなかったとのこと。これは、中国との友好関係という話では無く、主従関係となるものです。本当ならば許しがたい話です。
児童虐待について
最近、児童虐待が頻繁に叫ばれるところです。
もちろん、親には子供を懲戒する権利がありますが(民法第822条)、それを超えて親の極めて理不尽なエゴによって、将来を奪われる子供のニュースを見るのは極めて辛いところです。こんな裁判をしても、奪われたその子本人は帰ってきません。
我々は一市民として、虐待をしていると思われる事実を発見した場合、通報(通告)する法律上の義務があります。(児童虐待防止法第6条)
これには、あくまで「思われる場合」で良いので、確信を持って通報する必要はありません。当然に、間違っていたとしても、なんの処罰も受けませんし、匿名での通報も良いですし、匿名じゃないとしてもプライバシーは保護されます。
(全国共通ダイヤル0570-064-000)
少し前に、親が我が子の治療を拒否している事件につき、裁判所と児童相談所が連携して、異例の速さで即日親権停止(親権喪失の保全処分)の決定をしました。それにより、その子は治療を受ける事が出来たそうです。
この手続きを、行政である児童相談所が乱用するならば問題ですが、その時はストレートに感動しました。
将来ある若い命が救われたことは良かった。
「新宿駅 痴漢冤罪暴行事件」の放送を見て
昨夜、動画生放送をリアルタイムで拝見しておりました。
命を絶たれてニュースになった時から、私はこのことを存じておりましたが、その時から感じていたのは、やはり警察の対応の悪さ。
事件の概要としては、Aさん(当時25歳)が、酒に酔った女子大学生と男子大学生2人の計3人に「痴漢(腹部を触られたとの事)」と呼ばれ、激しい暴行ないし取り押さえを受け、その後に警察に事実上連行され、”7時間に及ぶ任意の取り調べの後、Aさんが電車に身を投げた”件です。
後に、警察は亡くなったAさんを痴漢容疑で送検しました。
尚、この取調べの様子は、AさんはICレコーダーで録音していました。
今回は、噛み砕いた条文を並べるだけにして、次回は、このAさんの例と、私の見た・経験したことも書きたい。
(本当は、私も職務上、警察関係者とは仲良くしたいのに・・・。
最近は、「警察官」だけで、「おまわりさん」は居ないのかな・・・と、一市民としても感じます。)
以下、刑事訴訟法を「刑訴法」。犯罪捜査規範を「規範」と言い、「第」を略します。
誰でも、犯罪被害を被った者は告訴をする事ができ(刑訴230条)、警察官は管轄に関り無く、これを受理しなければならない(規範63条)。仮に、その手続きの出来る役職では無い警察官であれば、それを役職者である警察官に移さなければならない(規範63条2項)。
告訴が口頭による場合は、警察官自身が書面を作らなければならない(刑訴法241条2項)。警察官が作る書面、その他の書類も明確なものでなければならない(規範55条)。
告訴を受けた警察官は、捜査して速やかに書類及び証拠品を検察に送付しなければならない(刑訴法242条)。
被害届も同様に、役職に関らず、管轄に関らず、書面か口頭の届けに関らず、警察官はこれを受理しなければならない(規範61条、同2項)。
警察官は事案の真相に強い信念を持って目を向け(規範2条)、先入観にとらわれず、事件関係者の供述を過信してはならない(規範4条2項)。
物的証拠などから事案の解明をしなければならず(規範4条、同2項)、証拠保全に努め(規範87条ないし89条)、事実発見の為に実況見分をしなければならない(規範104条)。
任意捜査は、承諾を事実上強制するような方法を取ってはならず、事実上強制と見える結果であってもならず(規範100条)、個人の権利を不当に侵害してはならない(規範3条)。
以上の条文に基づいた行動を当時の警察官は行ってますか。いや、条文なんか知らなくても結構です。もっと厳しいこと言えば、警察官としてのあるべき道徳、知っていますでしょうか。
前回に続き「新宿駅痴漢冤罪暴行事件」と、私の経験。
あまりこういうことは書きたくないのですが、対応の悪い警察官が居るのは事実。
この新宿の事件では、Aさんが当時録音していたICレコーダーの音声から明らかですが、Aさんは再三、担当の警察官に対し,自らの暴行事件についても調べて欲しいと述べていました。これは、口頭での被害届・告訴のいずれかになると思われますが、これらを無視しました。また、Aさんは、自分が冤罪である証拠を保全するように訴えてますが、それについても無視しました。
端的に、仮にAさんが痴漢の加害者であったとしても、警察は、もう一つ別の事件として暴行事件について捜査しなくてはならない。
これらは、前回に条文を載せた通り、問題があると考えて良いと思われます。
ところで私が、所要である警察署に行った時、会社内での傷害事件で被害届を出したいとする人の話が聞こえて来ましたが、警察官が発した言葉で、いくつか印象にあった言葉がありました。
「(1)いくら証人が何人も居ても、客観的に解らないとさ。だって、警察官がその場に駆けつけて見ないと。」
「(2)なんで一週間も経って来たの。言っちゃあ悪いけど、”いまさら”だよね。」
「(3)治療費を払ってくれないとか、社長に騒ぎにしないでくれって言われたって言ってもさ、アンタにも下心があったんじゃないの。」
「(4)人を一人逮捕するのは大変なことだから」
(1)については、「証人」の言葉の意味だけで無く、証人の法的な価値を無視しています。
(2)については、公訴時効そのもの、または、近年に公訴時効が延長された全体背景などを無視してます。
(3)については、損害賠償請求権は正当な権利であるし、この不況の世の中で次の仕事を探すことも困難であることを無視しています。
(4)については、逮捕は警察が時機を見て行えば良いのであって、被害届や告訴の受理そのものとは関係ありません。
また、私も過去に暴言を吐かれた事がありました。「おめーみてーな馬鹿はなぁ。」「なんだおい。連行すんぞこら。」「逮捕すんぞてめー。」等などを様々言われました。怒鳴ったり机を何度も強く叩きながら自らの主張を通そうとする動物的・短絡的な方でした。私はなんら無礼な対応を取って居ないにも関らず、あれほどまで人を見下す対応をする”警察官様”には、頭が下がります。真面目に生きようとするのが馬鹿らしくなります。当然に公安委員会に苦情申出をし、その後、”なぜか”随分と対応が変わりましたが。
法律なんか知らなくても、警察官になりたい時・なった時の心があれば、真摯に人や事件と向かい合う精神があれば、私のこれらの批判は存在しないのに残念です。
検察問題の番組を見て
年末の「ビートたけしのガチバトル」と言う番組で、通称ホリエモンとリクルート事件の主任検事などが討論しておりました。私は番組の終わりのほうしか見てませんが、ホリエモンの言葉が印象的でした。
堀江氏「あいまいな経済事犯について線引きして、どんな意味があるんですか」
元検事「それは、巨悪な者は・・・」
堀江氏「あんたらが線引きするから巨悪になる訳でしょ」
元検事「・・・」
以上の部分が、(1)罪刑法定主義の問題の面で、(2)検察の証拠捏造の問題の面で、非常に興味がありました。
(1)日本の刑事法の原則論としてもある「罪刑法定主義」は、簡単に言えば「処罰できる法律があるからその者を処罰できる。逆に言うと、処罰する法律が無ければなにをしても良い。そのためには、法律を作らなければならないし、内容が曖昧であってはならない。」と言うことです。
もし、曖昧な法律であると、「処罰されるか解らないから行動できない・自由が奪われる」と言う問題があり、経済・技術・芸術・学術などを発展させたくても処罰が怖くて行動できない。また、片思いはどこからストーカーか、子に教育するのはどこから暴行罪か、なんて問題が起きます。
では実際、刑事法が明確かと言われれば、先に例を述べた通り、必ずしもそうでは無いと言った部分があります。
(2)さらにホリエモンが言いたいのは、(1)の「曖昧な法律だったとしても、これを罪とするのもしないのも、起訴を独占している検察である」と言うことです。原則として、刑事裁判は、検察が起訴しなければ何も起こりませんから。
ここで、一番問題となる証拠の点は、過去にこのブログ内でも触れましたが(http://asama-office.com/blog/archives/22.html)、調書にサインしたら終わりです。
そのことについては、他の出演者が述べていましたが、「密室で、予め作ってある”作文”を見せられて、サインするか否かの攻防である」と。有利なニュアンスで書いてあったりも当然あります。
そういえば私も数年前、検察に書類を書く様に詰め寄られたことがありました。(私は悪いことはしてませんよ(笑)
”実務上、意に反して自白をさせられた調書は証拠になる”
ただ、最近は調書を否定する判決が、報道を見るに増えてきたような気がします。国民が司法制度に興味を持って参加してきた成果だと思われます。
危険運転致死傷罪の ほう助について。(同乗者の強い責任)
(途中、”~だけ”と言う表現を用いますが、文章の都合上ご容赦ください。)
先週、飲酒運転の同乗者に「危険運転致死傷罪の幇助罪」で、実刑判決が出ました。
私はこの判決を、非常に強烈に感じました。
極端なことを言えば、”ただ単に飲酒運転していた人間の隣に乗っていただけ”。
”それだけ”なのに実刑2年の判決、つまり、実際に刑務所に2年間入らなければなりません。
これは、法律的に「同乗者は運転者を止める義務があった」とする判決です。
「○○をしてはならない」と言うのは比較的簡単ですが、「○○をしなければならない」とする義務を肯定するのは難しいと考えられます。どの程度の、どの範囲の、その人にとってどれくらい難しいか・簡単なことなのか、などなど様々な問題があります。
また、もう一点問題があります。「酒に酔っていて判断力が無いのだから、義務なんて良く解らない」と言うことです。
しかし、これは比較的簡単に解決できます。それは、「酔ったら判断力が落ちるのを解っててわざと酒を飲んだ。酒を飲む前に知っていたでしょう。」と言って非難することが出来るからです。
今回の判決は、確かに理論上は導ける話ですが、実際に判決が出るというのは凄いことだと思います。
同乗者は運転者を止める義務があり、それに違反した場合は、実刑判決になる。
もちろんこれは飲酒運転だけを止める義務ではありません。運転者が麻薬・覚せい剤をやっていたら止める義務はもちろんですが、運転者が疲れていたら運転を止めさせる義務もあると言うことです。
同乗者は、運転者がどの程度疲れていたら、運転者を止めなくてはならないのでしょうか。
確かに問題は残りますが、車と言う凶器に乗っている以上、凶器であることを強く自覚しなくてはなりませんね。
性犯罪の被害者の行動とPTSDについて
性犯罪(セクハラ・強制わいせつ・強姦事件)の被害者の行動について、解り易く非常に勉強になる資料があります。
「《論説》セクシュアル・ハラスメントとPTSDに関する法的諸問題(山﨑文夫 先生)」
国士舘大学図書館
http://libw01.kokushikan.ac.jp/
こちらから文書名で検索してください。
私は前にあるテレビ番組で、海外留学する娘に対して「強姦されそうになったら抵抗したらだめだよ。我慢すれば命は助かる。」と言っていた母親のシーンが記憶に残っています。
ですから、今まで何件か性犯罪にかかる相談を受けたこともありますが、被害者を非難するような発言はしないよう心がけておりました。例えば、「加害者を殴れたかどうか」などの質問が必要な場合、純粋な意味での質問はしますが、「それをしなかった貴女は、合意の上じゃないのか。」などとそのように非難するようなことを私は言わないように極めて神経を使っていました。
私は、被害者が自分の命を守るために我慢すると言う点しか知らなかったのですが、上記した山﨑先生の論文によって、研究結果に基づく被害者の様々な行動があることが解りました。
私と被害者の関係がたとえ表面上は同じであっても、被害者の気持ちが解ればより良い対応が出来ると思います。その反面、さらに心苦しいわけではありますが。
山﨑先生の論文によれば、「---米国における強姦被害者の対処行動に関する研究によれば、~略~、逃げたり、声を上げたりすることによって強姦を防ごうとする直接的な行動をとるものは、被害者のうち一部であり、身体的または心理的麻痺状態に陥る者、どうすれば安全に逃げられるかまたは加害者を落ち着かせようと~略~考えを巡らす者、その状況から逃げるために加害者と会話を続けようとしたり、加害者の気持ちを変えるための説得をしようとする者がある---※以上引用」と言うことです。
そしてこれら被害者の反応や行動は、裁判所が判決の中で引用しているのです。冒頭が「米国における」から始まっていますが、これを日本のこととして裁判所が考えているのです。
しかも、論文の中では3件の判例を挙げていますが、それらは平成9年に2件と平成10年に1件です。論文を書いたのが少し前のようですが、その当時に同様の判例が立て続けに出ており、これが一般的な実務上の扱いのようです。
また、山﨑先生は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が、致傷罪(強制わいせつ致傷罪・強姦致傷罪)になることも触れています。これは刑法の試験を受けたことがある人間なら誰でも知っている論点ですが、裁判所はいわゆる生理的機能毀損説(目に見える傷だけで無く、体調不良的な事も含む)を採っています。
目に見える傷が無くても、理論上の致傷罪は非常に多いようです。
数字的なこととしては、PTSDを発症する確率(正確には有病率)は、強姦であれば57.1%、強姦未遂で15.7%、強制わいせつで33.3%であるとのことです。
もちろん、証拠が足りないなどの理由によって事実上の訴追の難しさがあることには注意しなければなりません。
性犯罪は許し難き故意犯です。にも関らず、性犯罪が表面化しにくいのは誰でも知っていることと思います。
少なくとも職業として法律を知っているべき人間は、被害者のその権利保護や尊厳、意思を最大限に尊重し、それと共に、今後の社会の為にも表面化についても考慮すべきであります。
救命士が真摯に人の命を救うことは違法なのか
先日見たニュースで、「救急救命士は、患者が心配停止の時に限って点滴が出来るが、その規則に反して搬送中の男性に対して点滴をした救急救命士を書類送検した。」と言う記事を見ました。
確かに、規則に反したかもしれません。しかし、目の前に死ぬかもしれない人が居て、それを助けるのを使命とする人間であれば、助けるのは止むを得ないし、助けることこそが公益に資するのではないでしょうか。「人の命は地球より重い」などと言う言葉もあります。このような事件を送検する警察官、処罰を求める検察官、処罰する裁判官などの家族や友人が同じ状態であったときに、これら官職の人間がどのように願うかを考えれば明らかでは無いでしょうか。
私は、この場合、処罰するだけの違法性が存在しないと考えます。
なぜなら、緊急避難(刑法第37条)で、「一つの命を救う為に、やむを得ず、一つの誠実な命を殺しても罰しない。」と規定があります。とすれば、「一つの命を救う為に、やむを得ず、”一応の正しい規則”に違反しても罰しない。」と言う価値観を持っているからです。
(もちろん、絶対的に医師の数に余裕があったり、全くの緊急性の無い事案であればこの限りではありませんが、そうであればそもそも救急車を呼ばないなどの前提で話をしています。この事案では、出血多量と意識レベルの低下が認められたとのことです。)
実務経験が一定以上あり、かつ、医師から直ちに指示を受けられないなどの場合は、救命士の医療行為の範囲拡大を図れることこそが公益に資すると私は考えます。
刑事告訴について
告訴状の作成を依頼される時、正直な話、少し困ったことがあります。
私は告訴事件については、しつこいくらいに「告訴はしないほうが良い」と奨めます。それと同時に、「見通しとしては、~な感じで、~くらいの期間がかかると予想されます。そして途中過程で貴方は傷つくし、それに、中途半端な気持ちで挫折したら、さらに傷つきます。本当に辛いですよ。それでも本当にやるのですか。」と訪ねます。私は着手すると決めた以上は、全力でサポートします。しかし、後々に諦めて傷口を広げただけのように見える人が少なくないのです。
また、依頼者が、事実について嘘をつくことがあるのは悲しくも承知しています。ですから、「言いたく無い場合は『言いたく無い』と答えてください。これは重要ですから、絶対に嘘は付かないでください。」と確認します。犯罪成立の中核となる部分については、このように何度も事実を確認しますが、それを後から真実を話された時には本当にガッカリします。人を処罰するに当たって、人の人生をドン底に突き落とすに当たって、何度確認しても重大な嘘を付くと言うのは、被害者だとしても擁護できません。
私ももっと適当に仕事をやれば悩みも少ないのでしょうが、告訴をする被害者は一生に一度極めて悩んでいるから私の元に来たと考えると、一件一件手は抜きたくないと考えてしまいます。悩み所です。
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当事務所は、司法書士および行政書士ですので、訴状や内容証明作成をはじめとして司法・行政その他民事・刑事関係の手続きなど広範囲においてそのサポートが出来ます。